八戸市立市民病院: 2008年1月アーカイブ
八戸市立市民病院(平成19年3月 弘前大学卒)
私は青森県出身で、大学も県内だったため、県内の臨床研修病院の中からこの病院を選びました。
選んだ理由の中で一番大きかったのは、研修医の人数が多いということでした。研修医が多いため職場は活気があり、また何か分からないことなど生じてもすぐ上の研修医に相談しやすい環境にあります。また各科でも研修医の対応に慣れているため、上級医や看護師から適切な指示やサポートを受けることができます。
日々の診療は結構ハードであるため、忙しい科をローテートしている期間には日々の業務をこなすので精一杯で、自分のための勉強にまで手が回らないこともあります。
しかし、その分やらせてもらえる手技も多く、上級医からの直接指導の元で実際にやって覚えることが可能な環境にあります。
まだ勉強中の身で分からないことが多く、またいろんな患者さんがいて大変なことは多々あります。しかしどんな仕事でも初めは辛いものだと割り切って、将来目標とする医師像に向かい自分が選んだ仕事を信じて日々を過ごしています。
八戸市立市民病院2年目研修医 橋本 千明 (平成18年3月弘前大学卒)
研修生活も、2年目がもうすぐ終わろうとしています。
夜中に急患室や病棟からの呼び出しがあり、病院に泊まることも日々しばしば…。忙しいけれど、退院する日に「ありがとう」と声をかけていただいたり、当直をしているときに以前受け持った患者さんがいらっしゃって「先生が当直で良かった!」と言って下さったときには、「この仕事をしていて良かった!」と実感します。たくさんの方と触れ合うことができる素敵な仕事です。今まで出会ったたくさんの患者さんのおかげで、私は少しずつ成長することができたのではないかと思います。これからも感謝の気持ちを忘れず、頑張っていきたいと思います。
「外傷外科医は僻地からスタート」
八戸市立市民病院救命救急センター兼臨床研修センター 所長 今 明秀
大怪我したら、どの病院で手術をするのがいいのか誰も知らない。癌の手術や、脳卒中なら、あそこの病院がいいらしい。あっちはよしたほうがいい。うわさは飛び交う。仮に、大怪我の治療にふさわしい病院があらかじめ分かっていても、交通事故現場から遠ければ、そこまでは行き着けない。大怪我の場合、患者は病院を選べない。
私は、自治医大を卒業した後、故郷の青森県で初期研修を受け、僻地勤務の後で外科研修を行った。同年代の外科医に比べて、僻地勤務のハンディキャップのため癌の手術件数は見劣りした。しかし、年齢を重ねるとともに、難しい手術もできるようになった。このまま外科の指導医となり、後輩の手術の前立ちをして医師人生の下り坂に向かうのかに思われた。当時のニュースでは国松警察庁長官がオーム心理教に銃撃され、大動脈、腎臓、腸管を貫通していたのに、助かったことが報道されていた。自分の目の前に、国松長官が運ばれてきたら助けられるのか(ありえないことだ。救急隊がわざわざ私の小さな病院を選定するとは思えない。でも当時はそう思った)。癌の患者は、小さな病院で手術しなくても遠くの大学病院で手術すればいい(地元で手術を受けられる幸せは知っている)。しかし、瀕死の外傷患者は、遠くの大学病院まで運べない。39歳で安泰に思えた田舎の外科医人生をやめて、まったく知らなかった外傷外科の修練をする道に入った。
では、私のような外傷外科医をこれからどうやって養成するのか。答えは出ない。なぜなら私は、僻地・外科・外傷外科と無計画に修練してきただけで、これを見習えとは言えない。でも、ここで大きな声で言ってみたい。救急医学会がひっくり返るかもしれない。「僻地で数年。まずこれから始めなさい。そうすれば大病院の、どのタイプの医者が悪いかがよくわかる。それがわかれば、そうならないようにするだけでいいスタートができる。外傷外科のスタートは僻地から」
八戸市立市民病院 2年目研修医 清水 俊洋(平成18年3月東北大学卒)
八戸市立市民病院にはたくさんの研修医が働いています。将来選択する科にあわせて当院には何種類か研修プログラムがあります。私は内科コースで研修をしています。ですが、将来内科を専門にしたいと決めていたわけではなく、広い視野をもって決めていきたいと思いこのコースを選びました。実際にはどのコースも2年目までは特に違いがあるわけではありません。
今まで様々な科でお世話になりましたが、非常に多くの経験をさせて頂きました。他の病院の研修内容は良く分かりませんが、いま振り返ってみて、私はこの病院を選んで結果として良かったと思っています。
